柳生制剛流抜刀について

柳生制剛流抜刀
柳生制剛流抜刀
撮影:森山雅智氏 写真提供:日興美術株式会社

<柳生制剛流抜刀の歴史>
 室町時代末期に、流祖水早長左衛門信正が僧の制剛からその抜刀を学んだとされています。流祖は柔術、居合術の達人で、その高弟である梶原源左衛門直景はこの技を尾張藩に伝えました。さらに新陰流兵法補佐として活躍した長岡房英は、制剛流抜刀術の奥義を究めました。次代房成がその術理を大成しました。
制剛流抜刀は柳生厳周、厳長によって練り直され、柳生制剛流抜刀として、延春厳道、耕一厳信へと相伝され、今日に至っています。

 廃刀令以降武士道の象徴であった、いわゆる腰間の一刀の存在が日常の生活から姿を消して140年余りとなります。兵法の稽古で使用する、当流独特の「ふくろ竹刀」の本(もと)となる日本刀の扱いを通して、兵法において大事な「位-心の充実が身体に現れた心身の有り様-」を練るために兵法と共に抜刀を稽古しています。

<柳生制剛流抜刀の道統>
流祖 水早長左衛門信正
第二世 梶原源左衛門直景
第三世 梶原半之亟景明
第四世 大橋源右衛門政章
第五世 大橋喜之助政長
第六世 長岡重郎右衛門房虞(ふさやす)
第七世 長岡五左衛門房英(ふさひで)
第八世 長岡五左衛門房成(ふさしげ)
第九世 長岡権六郎房躍(ふさすけ)
第十世 長岡兵十郎房恭(ふさやす)
第十一世 柳生三五郎 厳周
第十二世 柳生金治 厳長
第十三世 柳生延春 厳道
第十四世 柳生耕一 厳信